デス・オーバチュア
第200話「最恐の記憶」



薄暗いとても広いホール。
その最奥に、一人の少女がポツンと立っていた。
「お姉様〜」
わたくしはその人物の元へと駈け寄る。
「……フィンスタアニスか……」
彼女……わたくしの唯一無二の姉である、アンブラお姉様は、嘆息するように呟かれた。
「お姉様? どうしたの、その御髪?」
お姉様の前に辿り着いたわたくしは、お姉様の変貌に気づく。
とても綺麗だったお姉様の艶やかな黒髪が真っ白になっていた。
「……大したことじゃないわ……少し加減が解らなかっただけ……」
そう言って、お姉様は右手に握っていた『奇妙な長柄』を持ち上げる。
「お姉様、それは……?」
「……涅槃(ニルヴァーナ)……数億の闇喰いの屍から創りだした最強の魔杖よ……」
「闇喰い!?」
それは、わたくし達光喰いの宿敵の名、理由さえ忘れる程の大昔から争い続けた……互いに喰らい合ってきた存在の名だ。
「怖がらなくていい……闇喰いはもうこの世の何処にも存在しない、一匹残らず私が滅ぼしたから……」
「えっ?……凄い! 凄い、お姉様! そうか、それでみんな此処に集まって……みんな? お姉様、他の人達は? お爺様は……?」
「居ない」
「えっ……?」
「もうこの世の何処にも居ない。一人残らず消えた……私がこのニルヴァーナで掻き消したの……たったの一振りでね」
お姉様がクスリと上品に楽しげに笑う。
初めて見せてくれた優しげで幸せそうな笑み、でも、その笑みがなぜかとても怖かった。
「……お……お姉様……?」
「まだ現実が理解できないの? 幸せなお姫様(フィンスタアニス)、愚かな私の妹……」
「お姉様!?」
何かが突然わたくしの視界を覆う。
完全に視界を塞がれたわけではない、隙間がある……これはお姉様の左手だ。
お姉様の左手が、わたくしの顔を掴み、握り潰そうと力を込めてくる。
「い、痛い! 痛いよ、お姉様! やめて……いやああああっ!」
わたくしは痛みと恐怖から、泣きながらお姉様に許しを請うた。
きっと、わたくしが何かお姉様の御機嫌を損ねることをしたのだ、だから、お姉様は怒って……。
「全員、私が殺したと、ニルヴァーナに喰らわせたと言っているのよ! 私の全てを弄んだあの爺も! 私にばかり戦わせて享楽に耽っていた屑共も一人残らずね!」
「痛い痛いよ、お姉様! ごめんなさいごめんなさい、許して、お姉様……えぐうぐ……」
お姉様が何か言っている、でも何のことを言っているのかわたくしには解らない。
一瞬でも早く、この痛みと恐怖から解放されたい、ただそれだけを願っていた。
「泣かなくても……貴方だけは殺さないわ……」
「えぐぐぅ……お姉様……?」
万力のようにわたくしの顔を潰そうとしていたお姉様の左手の圧力が弱まる。
「望まれた子、闇を継ぐ子……蝶よ、花よと育てられた我らの姫君……」
「……お姉様……?」
「私がその気になれば簡単に握り潰せてしまう……小さな小さな命……」
「痛ああっっ! 痛い、痛いよ、お姉様ああっっ……!」
再びお姉様の左手がわたくしの顔を強く握りだした。
「泣くな! このまま握り潰してしまいたくなる……」
苛立った声の後、左手の圧迫が弱まっていく。
「うぐぅっ……どうして、こんなことするの、お姉様……ぐすぅっ……」
「どうして?……そう、そうね、貴方は何も知らない……だから……だから、殺さない。なぜ、憎まれているかも解らない相手を殺すなんて……そんな虚しく惨めなことを私はしたくない……」
「えっ……きゃあああああっ!」
わたくしは投げ飛ばされ、背後にあった柱をへし折って、ホールの壁へと叩きつけられた。
「好きなだけ生きなさい、フィンスタアニス……地べたを這いずり回って……惨めにね……」
「うううぅぅっ……」
壁に叩きつけられた背中が痛くて、お姉様が怖くて、わたくしはただ泣くことしかできない。
「ここで突発の事故のように、何も解らず私に殺されるより……獲物の取り方……食事も、着替えさえ一人でできないお姫様の貴方が……この弱肉強食の魔界を一人で生きていくことの方が……貴方には何百倍も地獄でしょうね……フフフッ……フフフフフッ、アハハハハハハハハッ!」
笑い声と共に、お姉様の気配が遠ざかっていくのが解った。
「……お……お姉様……いやあああっ! おいていかないで……お姉様……うううぅぅっ……」
怖い、今のお姉様は正視できない程に怖い。
でも、誰も居ないこの場所に一人置いていかれるのはもっと嫌だった。
「…………」
気配が止まる……お姉様が立ち止まってくれたのだ、わたくしはゆっくりと視線をそちらに向ける。
「……泣き虫……」
「うくっ……」
お姉様は、唾棄すべき物を見るような目で、わたくしを冷たく見下していた。
「う……お姉様……おいていかないで……わたくし、一人は嫌なの! 一人じゃ何もできないの! 何をしていいのかも解らないの! だから、だから……一緒に居て、お姉様!」
わたくしは、泣き喚きながら、お姉様の足にすがりつく。
今、お姉様に見捨てられたら、わたくしは生きていけない、なんとかお姉様に許してもらわなければならないのだ。
なぜ、お姉様が怒っているのか、怖いのか解らないけど、なんとか機嫌を直してもらわないと……。
「どこまで……」
「……お姉様……?」
「……どこまで私を苛立たせるの、貴方はっ!」
腹部への強い衝撃と共に体が浮かび上がる……わたくしはお姉様に蹴り飛ばされていた。
そして、ホールの反対側の壁に叩きつけられる。
「……生とは苦しみ……それを実感なさい。そして、苦しむのが……生きるのが……耐えられない程辛かったのなら……さっさと野垂れ死になさい」
「うぅ……ご……ごめんなさいごめんなさい、お姉様……」
「…………」
「……いくらでも謝るから……何でもするから、許して……わたくしを捨てないで、お姉様……ううう……」
「何が悪かったのか解ってもいないのに謝られるのって……こんなにも不愉快なものなのね……」
「……お姉様……?」
「……最後に一つだけ、生き抜くためのアドバイスをしてあげるわ……憎みなさい、私を……貴方から安楽な生活を、約束された未来を奪った……この姉を……」
「……そんなことできないよ……お姉様のこと大好きだもん……」
「……どこまでも馬鹿な子……じゃあ、永遠にさようなら、愛おしいまでに愚かな妹よ」
「待って、待って! わたくしを一人にしないで、お姉様あああぁぁっ!」
「…………」
背中を向けたお姉様は、一度たりとも振り返らず、わたくしの前から去っていった。



「なんて忌まわしい記憶……」
全ての『過去』を思い出したDは、不愉快げに顔を歪めた。
恥だ、何て惨めでみっともないのだ、過去の自分は……。
過去の自分を無かったことに、記憶を抹消したくなった。
いや、実際に一度抹消したのだろう。
「人は過去を消し去って生きていく者……いえ、消さなければ生きていけないのでしょうね」
錫杖の音が響いた。
Dのすぐ傍に、灰色金髪(アッシュブロンド)の髪の幼い少女、ウルド・ウルズが立っている。
「……わたくしは人ではなく、誇り高き魔族よ……」
「いえ、ここで言う『人』とは魔族も神族も含めた……全ての生きとし生ける者のことです」
「ふん……わたくしは人間のような己の過去も背負えない程、脆弱な存在ではありません」
「では、なぜ、姉君のことをお忘れになられていたのでしょう?」
「くっ……」
Dは言葉に詰まった。
認めたくはないが、確かに自分は姉のことを忘れていた、都合の悪い記憶を抹消していたのである。
「至極不愉快ですが……認めましょう。確かにわたくしは記憶を抹消していました。過去の自分があまりに恥ずかしかったので……」
「恥? 本当にそれが理由でしょうか?」
「……どういう意味ですか?」
ウルド・ウルズの今の発言は聞き捨てならなかった。
実は記憶を抹消していた理由は、恥である過去を消したかった以外にもう一つ心当たりがある。
だが、それは、今あげた理由よりも認めたくない理由だった。
「過去の自分が恥ずかしかったからではない……貴方が過去を忘れていた一番の理由は……」
「言うなっ!」
Dは、白銀の剣をウルド・ウルズの首へと振り下ろす。
反射的、感情的な行動だった。
ウルド・ウルズにそこから先を口にさせるわけにはいかない……そう思った瞬間にはすでに剣を振っていたのである。
鈍い轟音を響かせ、白銀の剣はあっさりと錫杖によって受け止められた。
そして、ウルド・ウルズはゆっくりと続きの言葉を口にする。
「姉が怖かったのですね」
「うっ……」
言われた、言われてしまった。
「……違う! 違う違う! わたくしはお姉……あんな裏切り者を恐れてなどいません!」
「怖い……彼女の存在を覚えている限り、自分は常に怯え続けなければならない……だから、記憶を……」
「黙りなさい! 違うと言っているでしょう!」
Dは再び、白銀の剣を斬りつけるが、ウルド・ウルズは軽やかにバックステップして回避する。
「……どうでもいいことだから忘れていた……などと嘘は言いませんわ。確かに、わたくしは意図的に過去を抹消していました。けれど、それは恥の塊である過去の自分を忘れたかっただけで、あの裏切り者への恐怖からなどではない!」
「…………」
ウルド・ウルズは無言、Dの発言を否定しない代わりに、認めもしなかった。
「……解りました。では、そこで『視て』いなさい……あんな裏切り者、怖くも何ともないことを証明して差し上げますわ!」
Dはそう宣言すると、ウルド・ウルズに背中を向ける。
「今のあなたには余裕が感じられません……自身を見失っては勝てるものにも勝てなくなりますよ。まあ、元から実力で勝てないのだから無問題で……」
「黙って視ていなさい! すぐに証明してみせますわ!」
Dは背中を向けたまま怒鳴ると、ウルド・ウルズの前から姿を掻き消した。
「……あなたの勝敗は占うまでもない……」
ウルド・ウルズの口元に微笑が浮かぶ。
「ですが、争いとは例え結果(未来)が解っていても、過程(現在)は視てて面白いもの……では遠慮なく愉しませてもらいましょうか」
閉じていた目を開くと、ウルド・ウルズは星の輝きのような静謐な輝きを放つ瞳で、『遙か遠方の地』を見つめた。









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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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